6/3ウクライナ避難民のルバン・オリガさんが、私たち「ふくしまキャンプ」の代表、木村真三と共に愛媛県松山市を訪れ、講演を行いました。

2月24日の早朝、突然の爆音とともに私が暮らすウクライナの首都キーウはミサイル攻撃の対象となりました。窓を開け外を見ましたが、何が起きたのかよく分かりませんでした。テレビを見て戦争が始まっていることを知りました。
当時、私はキーウにあるMTI 社というハイテク機器の販売代理店で働いていました。しかし3月20日にはその勤務先であるビジネスセンタービルがロシア軍のミサイル攻撃により破壊されてしまい、会社は給料を支払う事も出来なくなりました。
働く場所を奪われ、住むところも無くし急行列車でポーランドに向かいました、攻撃目標とならないよう列車内では電気やスマートフォンは使えません。私の乗っていた列車は運良く攻撃されませんでしたが、後発の列車は攻撃され破壊されてしまいました。
ポーランドの避難所を経てドイツの友人宅に身を寄せました。そんな頃にキエフ剣道連盟の事務局長から日本行きを勧められたのです。剣道を習っていたので日本の文化と歴史には興味がありました。
いろいろな手続きを経て、4月5日には日本政府の用意した専用機に乗る事が出来ました。コロナの事もあり、乗れるのは20名だけ、私はその20番目でした。
『私は迎え入れてくれた日本の皆さんが、ウクライナに関心を持ち、サポートしてくれることに感謝しています。』
私の実家はチェルニーヒフ州にあり両親も健在で、元気に暮らしてはいます。しかし空爆や侵攻が心配で毎日のようにテレビ電話で状況を聞いています。もちろん日本に来るように誘ってはいますが、今のところ良い返事は返って来ません…


ウクライナから福島へ避難の女性、愛媛で講演へ 「力を借りたい」 朝日新聞デジタル